2010年6月23日水曜日

涸沢デブリーフィング3


今回使用することなになるグレートドームです。写真ではわかりづらいですが、巨大なテントで今回の収容人数は7人でした。仮組みを行い、最終確認をする。


ほぼ最終段階のパッキング情景。このパッキングのせいであとあと地獄を見ることは知る由も無かったorz・・・


 
出発は新宿都庁下のバス停留所から。初の深夜バスとなる。この辺から眠れないことには薄々気づいていた。最後の文明圏との接触としてセンタービルだかのセブンイレブンで抗菌シートとツナマヨおにぎりとガーナミルクチョコレート購入。おにぎりは後に聖遺物化してしまうとは。。。。

その後夜の10時くらいにバスに乗り込み、パーティーのメンツ共々おネンネしながら地獄の釜が開かれる予定の涸沢に向かう。バス内は結構混み合ってた。まあ中高年が大半でしたけどね。最後尾の座席に座っていたのですが、あまりにもケツのハマリが悪すぎて
寝る事叶わず。途中何回も望まぬ起床を迎えたりしてかなりムカつく東名高速でした。途中談合坂とかいうすげー名前のSAに降りてスゲーって思った。金が無いので何も買わず、何も食べなかった。

日付が変わって午前5時ほどに目的地の涸沢のいい感じの集落的バス停に到着。糞寒い。ちなみに6月4日。バスから降りて速攻でモンベルの毛下着、ポリのインナー、ゴアの雨具を装着する。俺はこの段階でコンタクト装着。40分くらい留まってから出発。

荷物が糞、クソ重い。コレに尽きる、人生の山岳ファーストインプレッション。

 でまあ合羽橋だの徳沢だの途中のチェックポイント的名所に1時間周期ぐらいで休憩してガンガン進む。パーティーの先輩達が強すぎる、逆にこの輸送運動は悪魔的にまで全身の節々に深刻なダメージを与えているのではないか、とすら思った。正直身長縮んでいると思った。話は翔ぶが、奇跡的に自宅に生還できたときにリュック装着時と裸状態の重さの差分を図ったのだが28Kg以上あった。しかしそれは5日過ごした後で、かなりの食料とガスが消費された状態であった。つまりこの上りの段階では明らかに30Kg以上あったと考えるのが妥当であろう。俺の体重は55Kg、なにかこう、新しい世界が開けたような気がした。涸沢のバス停から涸沢ヒュッテまで約6時間、30Kg、体重の55%位追加、悪夢で有る。
昔の城郭を作った人とかシルクロードを渡った承認とかはマジでエライと思うようになりました。あと玄奘。重い荷物を背負って長安からインドに至る道程とか考えるとマジパネェてか法顕とか強すぎだろとかしか言わざるをえない。
現代と古代の橋渡し的作業だなと。

 で、12時半くらいに着きましたと、最後の大トラバースは意識が全身の筋肉制御に向かっていたので覚えていませんと、マジで人生オワタなりそうだったと、俺にはレンジャー絶対無理だと、ソンくらいしか考えてなかったと思う。アレはない。あれは本当に辛かった・・・全身のバランス制御、及び足首が奇妙な曲がり方しないように適度に筋力張るっつーメンド臭いことを延々やっていた気がする・・・

しかしまあ涸沢ヒュッテ到着時は結構嬉しかったのと、体が案外持ってくれたのと、水がやたら旨かったからまあいいかなーって感じになりましたね。あれは何だったのだろう。

ちなみにこの日は疲れすぎていたので写真等一切取ってませんでした。あとやっぱりバッテリー類は肌身離さず持っていた方が確実に持ちが良くなります。この件に関しては今回自分で確認がとれたのでとても良かったと思います。
つづく




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